テクノロジーを使った「主体的な学び」は、本当にすべての人に恩恵をもたらすのか――。1990年代のハイパーメディア教材の研究で明らかになったのは、自律的な学習環境が、やる気や学力のある学生には効果的だった一方、そうでない学生との格差を広げる可能性があるということでした。このジレンマは、GIGAスクール構想が進む今も、未解決の課題として残されています。第2回「格差は突然やってくる! ヤァ!ヤァ!ヤァ!」につづく第3回。
目次
- 「文京文学館」プロジェクトの背景
- 主体的学習は格差を拡大する?
「文京文学館」プロジェクトの背景
前回紹介した『教育論の新常識――格差・学力・政策・未来 』(松岡亮二編著、中公新書ラクレ、2021年)の本を読ませていただいて、僕がICU(国際基督教大学)で修士のときに行っていた研究を思い出しました。
1990年代、文部省(当時)から補助金をもらい、ICUと日本視聴覚教育協会、それからパイオニアLDC(パイオニアの子会社)と共同して、「文京文学館」という教材を開発していました。
まだインターネットがない時代に、ハイパーカードというMacintosh向けのアプリケーションで動くもので、今のWikipediaをイメージしていただければいいと思います。いろんな写真とか動画が載っていて、クリックするといろんな関連情報に飛べるというものを1台のコンピュータのなかで作ったわけです。

明治時代、本郷の東京大学のあたりで、森鴎外や夏目漱石、樋口一葉などの有名な文人が交流していました。その交流がどういうふうに作品に影響を与えたのか、どういう個人的なエピソードがあったのかを紐解いていく非常に面白い教材でした。
当時、院生だった僕も研究者のはしくれとして関わらせてもらって、これで修士論文の研究を行ったのです。興味があったのは、学ぶということに対して、さまざまな変数がどう影響するかということでした。
学ぶことの変数にはさまざまな要素が考えられます。どういう認知学習スタイルがいいのか(じっくり考えるのか、パッパッと手を動かすのか、全体から把握するのか、細部から積み上げるのかなど)、そもそも学ぶ人は明治時代の文学に興味があるのかどうか、一般的に学業成績がいいのかどうか、こういうインタラクティブなものを使って勉強するのが好きかなど。つまり、これらを変数として、学びがどう影響されるのかということです。
主体的学習は格差を拡大する?
そこで同じ内容の30分の教育映画と、このハイパーメディア「文京文学館」を比較しました。その結果わかったのは、やる気がある、学力が高い、知識もあるという学生は、ハイパーメディアを使うと優れて学べることが多かったという事実です。これは今のインターネットの世界でも言えることだと思います。修士論文をまとめていく上で、そういうことが明らかになってきました。