トランプはイラン侵攻からの出口を見いだせない八方塞がりの状況にあることをこれまで見てきました。トランプが戦争を止められないなら、他の誰かが止めさせなくてはなりません。「他の誰か」とはトランプの「忠犬」たる大統領府メンバーではなく、戦争に関して大統領を掣肘できる独立の法的権限と責任をもつ国家機関です。米国の憲法とそれに基づく連邦法によれば、連邦議会と司法府がそれです。

しかし、米国の議会も裁判所も、大統領の戦争権限の濫用を法的に制止する責務を長年さぼってきており、今般のイラン侵攻でもこの怠慢が続く気配が濃厚です。トランプの暴虐だけではなく、それを止められない米国憲政の頽廃がいま問われています。以下で、この問題を考察します。  

*今回、途中から有料記事です。


目次

  • アメリカ合衆国憲法第1条第8節第11段、そして戦争権限法
  • 議会がだめでも裁判所がある? ――「政治問題」の教義に逃げる司法
  • 「政治問題」の名による法執行の回避こそ、司法の政治化による法破壊である
  • 立憲民主主義から選挙独裁制への米国の変質――憲法の統治機構規定の再生へ

アメリカ合衆国憲法第1条第8節第11段、そして戦争権限法

日本国憲法は国民主権を謳いながら、その第1章は、国民が直接選挙で選出した「国権の最高機関」たる国会ではなく、天皇に関する八つの条文から成ります。これに対し、最古参の民主国家を自負する米国の憲法は、さすがに、連邦議会に関する10個の節(Sections)から成る長い第1条(Article 1)を冒頭に置いています。その第8節(Section 8)は連邦議会の権限を定めていますが、これまた長く、18の権限を段落分けして列挙しています。その11番目の権限として、「戦争を宣言し、敵国船拿捕免許状を付与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を定めること(To declare War, grant Letters of Marque and Reprisal, and make Rules concerning Captures on Land and Water)」を挙げています。

この合衆国憲法第1条第8節第11段によれば、戦争を開始する権限は大統領にではなく、連邦議会にある。しかも「戦争を宣言し」という語句の後に加えられた「敵国船拿捕免許状を付与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を定める」という文言から明らかなように、今般のイラン侵攻におけるホルムズ海峡「逆封鎖」のような行為もそれを許可し規制する権限は議会にあることが明記されているのです。4月27日配信の「イラン侵攻論(5)」で、逆封鎖しながら停戦だと主張するトランプの嘘を暴きましたが、合衆国憲法も、海峡封鎖行為を戦争と同様に議会の承認を要する戦闘行為とみなしていると言えます。

しかし、ヴェトナム戦争において、米国政府は議会による宣戦布告なしに外国への大規模な軍事介入を行い、米国にとっても悲惨な痛手となったため、その反省から、1973年に「戦争権限法(the War Powers Act)」と略称される連邦法が制定されました。

戦争権限法によると、大統領は外国との敵対状態に導く軍事行動をとる場合には事前に議会との「相談(consultation)」を要請され、議会の宣戦布告なしにかかる軍事行動をした場合は48時間以内に、軍事行動を必要とする情勢、憲法的・法的根拠、戦闘の規模・期間等について下院議長および上院仮議長(the President pro tempore of the Senate)に「報告(reporting)」をしなければなりません(上院については報告名宛人が議長ではなく仮議長とされるのは、上院議長は副大統領が務めており、上院議員の長老格が務める仮議長が議会としての上院の実質的代表者とみなされるからです)。

特に重要なのは、軍事行動開始後60日経過時点で、議会が宣戦布告せず、さらなる60日間の戦闘続行の授権もしない場合は、米国への敵の攻撃で議会招集が物理的に不可能な場合を除き、大統領は米軍を撤退させるよう要請されます。大統領はさらに30日間、米軍撤退を先延べできますが、それには議会に対し、米軍の安全に関する「不可避の軍事的必要性」がそれを要請することを文書によって証明しなければなりません。

今般のイラン侵攻に関し、トランプ政権は議会に対し事前の相談をせず、事後報告はしたものの不十分でした。それだけでなく、侵攻後60日を経過した5月1日(米国東部時間)――60日の期間起点は3月2日――の時点で、議会による宣戦布告も、戦闘継続承認もないから、戦争権限法に従えば、米軍を撤退させなければならないにも拘らず、「停戦継続」でイランの敵対行為は終了したから議会承認なしに米軍による海峡封鎖を続行できると開き直っています。

トランプ氏、「停戦」実現でイランとの敵対行為終了と米議会に通知 今後は議会承認不要と主張 - BBCニュース
ドナルド・トランプ米大統領は1日、イランとの戦争について連邦議会に対し、継続中の停戦のもとでアメリカとイランの敵対行為は「終了した」と議会に書簡で通知した。このため、対イラン戦争について議会が認めた5月1日の期限を超えた今後の作戦行動については、もはや議会承認は必要ないと主張した。

「イラン侵攻論(5)」で触れたように、海上封鎖は戦時国際法上、戦闘行為であり、「停戦延長」は嘘で、空爆戦が封鎖戦に代わったにすぎません。また上述したように、合衆国憲法第1条第8節第11段も、海上封鎖を戦闘行為とみなし議会が許可と規制の権限をもつことを明記しています。しかも、実際に5月1日以降もイランと米国との間で互いの艦船に対し攻撃の応酬があったことをトランプ政権自体が認めています。トランプは公然たる嘘によって、米国憲法にも戦争権限法にも反する違法な戦争――国際法上違法であるだけでなく、米国法上も違法な戦争――を続けているのです。

議会がだめでも裁判所がある? ――「政治問題」の教義に逃げる司法

大統領は米軍の最高指揮命令権をもつが、戦争をするかしないか、続けるか止めるかを決めるのは議会だというのが、合衆国憲法と戦争権限法の根本法理です。トランプはこれを公然と無視して、戦争の開始・続行・終結の決定権も自分がもつかのように振る舞っています。コケにされている議会が本来ならトランプを制止しなければならないのに、上下両院で過半数を占める共和党はトランプの従僕と化し、それができない。

共和党が支配する議会が宣戦布告も戦闘続行承認決議もしないのは、共和党支持者の間でも反対の声が小さくないイラン侵攻を推進する立場に立つのは、中間選挙を控えた共和党議員もやりたくないからです。しかし、戦争授権法に従い米軍を撤退させよとトランプに要求する決議をすることも、彼の政治的復讐を恐れてできないから、違法な戦争を見て見ぬふりしようというのが共和党議員の大半の姿勢でしょう。

共和党支配の議会がこんな体たらくなら、ここで頼れるのは裁判所、司法府です。連邦議会の議員有志や、米軍の兵士などが、イラン侵攻への米軍関与の継続は憲法と戦争権限法に反するとして米軍撤退の法執行を求める訴訟を裁判所に提起することができます。まだ、このような訴訟は提起されていないようですが、議会承認なき米政府の軍事行動の中止を求める訴訟は過去に何件も提起されており、イラン侵攻が泥沼化しそうになれば、今回も提起される可能性はあります。

しかし、残念ながら、戦争権限法制定後に提起されたこの種の訴訟において、米国の司法府は、門前払いする姿勢をとってきました。「門前払い」とは、原告の主張の是非を実質的に審理した上で法的に支持不可能として斥けるのではなく、そもそも司法的判断に適さないとして実質審理なしに撥ねつけることです。英語では実質的否決も門前払いもdismissという語が使われ修飾語で区別されますが、日本の法律用語では前者は「棄却」、後者は「却下」と呼ばれ明確に区別されます。

エルサルバドルへの米軍の介入が問題となった1982年のクロケット対レーガン事件、切迫したイラク侵攻の差し止めが求められた2002年のドウ対ブッシュ事件、リビヤへの軍事介入に関する2011年のクチニッチ対オバマ事件など、議会承認なき軍事行動の違憲性・違法性を主張する一連の訴訟でこれを連邦地裁は門前払い(却下)し、控訴審や最高裁も地裁判決を支持してきました。このような司法の対応の論拠をなすのが「政治問題(political questions)」の教義です(参照、Erwin Chemerinsky, “Trump’s folly will soon be plainly illegal,” in The New York Times, International Edition, Apil 30-May 1, 2026, pp. 1, 10)。

この教義は、軍事や外交など、高度に政治的性質をもつ問題、すなわち「政治問題」は司法的判断に馴染まず、大統領や議会など民主的政治部門の判断に委ね、裁判所は後者の判断に「敬譲(deference)」を示すべきだとします。これは、連邦・州の法令・行政行為に対し違憲性を理由に無効宣告できる強力な違憲審査権をもつ裁判所が、「司法専制」の批判を回避するために自らに課す謙抑的自制の原理と見られていますが、権力に対する法の支配や立憲主義的統制を貫徹する司法の責任を回避するという問題も孕んでいます。

以下、イラン侵攻との関連でこの問題を考察し、さらに米国の立憲民主主義の危機に関してそれがもつ意義を敷衍します。(なお、日本でも同様な教義が「統治行為論」の名で語られ、米国よりはるかに強い日本の裁判所の違憲判断回避傾向をさらに強める要因となっていますが、これについては別の機会に論じます。)