今回から新連載「正義は行われしめよ/ウクライナ戦争」を開始します。2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、長期化の様相を呈しています。プーチン政権の真の目的は何なのか。戦争終結に向けてどのようなシナリオが考えられるのか。国際社会の法と正義の観点、そして実証的な検証を通じて、ウクライナ戦争の本質に迫ります(編集部)。
目次
- 「NATO東方拡大」が侵攻の原因?
- イデオロギー対立の消滅とロシアの西側接近
- 「集団的自衛権体制」から「集団安全保障体制」への転換
「NATO東方拡大」が侵攻の原因?
――2022年2月24日(日本時間25日)、ロシアがウクライナに侵攻してから3年半以上が経っています。このウクライナ戦争はさらに長引く可能性もありますが、プーチン政権が戦争を始めたのはなぜか。本当の原因は何だとお考えですか。
ロシアがウクライナに侵攻した当初、ロシアのプロパガンダだけでなく、西側諸国の中にも「侵攻は良くないが、ロシアの立場も理解できる」という同情的な意見がかなりありました。
その中で最も有力だったのが、「NATOの東方拡大(東進)がプーチン大統領を追い詰めた」という見方です。
冷戦でソ連が崩壊した後、ワルシャワ条約機構は解体されたが、NATO(北大西洋条約機構)だけが残っている。かつてのソ連領から分離独立した国や、東欧・中欧の旧社会主義国が次々とNATOに加盟していった。ウクライナも加盟を望んでいる。そうした状況で、NATOが東方にどんどん拡大し、かつてソ連の勢力圏だった地域を取り込んでいる。ロシアは、この地域をいまでも自国の勢力圏だと考えているわけで、NATO拡大はロシアの安全保障を大きく脅かすものであり、ロシアは自国を守るために防衛的にウクライナに侵攻したのだ、と。NATOが東進したのが悪いという、この考え方を私は「NATO東進帰責論」と呼んでいます。
この見方を客観的事実であるかのように語ったのが、国際政治で「リアリスト」を自称する人たちです。彼らは冷戦時代の東西陣営のデタント(緊張緩和)によるすみ分け、つまり勢力圏分割という考え方が念頭にあるものだから、「NATO側がロシアの勢力圏を奪う形で侵入し、それがプーチンを追い詰めた」と、まことしやかに語られたのですね。


イデオロギー対立の消滅とロシアの西側接近
しかし、歴史的事実を見れば、この主張はまったくの誤りです。私は2022年9月に出版した『ウクライナ戦争と向き合う』(信山社)の中で、詳細な事実を示してこの主張に反論しました。
冷戦時代にはワルシャワ条約機構とNATOという対立がありましたが、冷戦終結後、社会主義ブロックは崩壊し、ソ連自体も消滅しました。いまのロシアも建前上は社会主義ではなく、自由民主主義と市場経済の陣営に属していると言っているわけです。
かつての東欧・中欧の社会主義国や、バルト三国などのソ連から独立した国々、そしてウクライナも含めて、民主化や市場経済化が程度の差はあれ進んでいます。
つまり、社会主義対自由主義、あるいは共産主義対資本主義というイデオロギー対立の構造そのものが消滅しているのです。
NATO陣営が「東進」して旧ソ連の勢力圏を奪ったのではなく、旧共産圏各国が自ら次々と「西進」してNATO加盟を選択したわけです。ここが重要なポイントですが、ロシア自身も自国を西側陣営の一員と認識し始めていたのです。
エリツィン大統領(在任1991-99年)の時代は、旧ソ連時代のプライドが残っており、民主主義を掲げながらも「核兵器を持つ大国をなめるな」という態度がありました。
そのエリツィンがプーチンを取り立てた理由は、エリツィン自身が汚職にまみれていたため、旧KGB(国家保安委員会)出身の治安官僚であるプーチンなら、こうした政治家を守る手腕があると考えたからです。
ただ、当時のプーチンは非常に親西側的でした。具体的な例証は本の中で詳しく述べていますが(注1)、特にNATOに関しては、ロシアは「準加盟国」としてNATOから受け入れられていたのです。
(注1)例えば、1999年のコソボ紛争でNATOがセルビアを空爆した際、エリツィン大統領(当時)はこれを旧社会主義圏への軍事的介入とみなし、米国に対して核による威嚇とも取れる発言をしました。しかし、当時首相を務めていたプーチンは「ロシアと米国の関係が冷え込んできたと示唆するのは全く不正確だ。我々は米国と非常に良い関係を持っている」と述べ、事態の沈静化に努めたと報じられています。井上達夫『ウクライナ戦争と向き合う――プーチンという「悪夢」の実相と教訓』(信山社、2022年)、50頁以下。
「集団的自衛権体制」から「集団安全保障体制」への転換
冷戦時代には、ワルシャワ条約機構とNATOという対立軸があり、当時はそれぞれが「集団的自衛権体制」でした。これは、敵と味方をしっかりと線引きし、それぞれの集団内で互いに守り合うという仕組みです。相手グループの誰かが自分たちのグループの誰かを攻撃したら、全員で反撃するぞ、という体制です。

これに対して「集団安全保障体制」とは、敵と味方を区別しない仕組みです。敵にも味方にもなり得るさまざまな国々を包み込み、加盟国同士で紛争が起きた場合には、それが拡大しないように抑止し、その原因を取り除いたり、予防したりすることを、皆で協力して行おうというものです。それを最もグローバルな規模で体現しているのが国連です。
ただし、誤解されやすいのですが、「地域的な集団安全保障体制」というものも存在します。たとえば、ヨーロッパにはNATOとは別に、欧州安全保障協力機構(OSCE)というのがあります。これは集団安全保障体制なので、じつはロシアもしっかりと加盟しているのです。同様に、南北アメリカ大陸の国々で構成される米州機構(OAS)というのも存在します。
「集団的自衛権体制」と「地域的な集団安全保障体制」はいずれも地域的な機構であるため、混同されやすいので、区別が必要です。ただ、同じ機構が一方から他方へと性格を変容させることがある点にも注意しなければなりません。「NATOの東方拡大がプーチンを追い詰めた」と言っている人たちは、冷戦終結後もNATOがかつての「集団的自衛権体制」のまま残っていると思っているわけです。しかし、これは大きな間違いなのです。
東西のイデオロギー対立構造が崩れ、敵グループの集団的自衛権体制であるワルシャワ条約機構が消滅したことで、NATOも性質を変えました。ワルシャワ条約機構と対抗する集団的自衛権体制であり続ける必要がなくなり、欧州安全保障協力機構と似たような「地域的な集団安全保障体制」へと、しだいに性質を変化させていったのです。国際政治で「リアリスト」を称する人たちは、脱冷戦期におけるこうした構造的な変化を理解せずに、冷戦期の地政学的対立図式に囚われたまま、誤ったことを言っていたわけですね。
NATOの性質の変化を示す証拠として、特に次の事実が重要です。ロシアは欧州安全保障協力機構に加盟しただけでなく、NATOとも「準加盟国」として協定を結び、NATOの特別理事会(NATO・ロシア理事会)に参加していました。NATOも最重要な戦略問題は除き、テロ対策・大量破壊兵器不拡散・軍備管理・危機管理などについて理事会としての意思決定にロシアを加えたのです。当時のNATO 加盟国19カ国にロシアを加えて、NATO 20などと呼ばれました。当時、G7がロシアを加えてG8と呼ばれていたのと同様、西側とロシアの蜜月時代を示す事実です。
さらに、西側諸国では米国のブッシュ(ジュニア)大統領も含め、ロシアをNATOの正式加盟国にしようという動きも始まっていました。プーチン自身も一時期はそれを望んでいたのです。
まとめ・次回予告
ウクライナ侵攻の原因を「NATO東方拡大」に求める議論は、冷戦終結後の安全保障体制の本質的な変化を見落としています。NATOは敵味方を峻別する「集団的自衛権体制」から「地域的な集団安全保障体制」へと転換し、ロシア自身もその枠組みに参加していました。プーチン政権による侵攻の真の原因は、NATO拡大ではなく別のところに求めるべきでしょう。
次回は、プーチンが侵攻に踏み切った動機について、さらに掘り下げて検証します。