プーチンはウクライナへの軍事的威嚇だけで効果を得られたはずなのに、合理性のない侵攻に踏み切ったのはなぜか。その鍵は「対外硬、内に憂あり」の言葉にあります。内政問題を抱えた為政者が、国民の不満をそらし権力を維持するために起こす「挑発されざる戦争」とは?「プーチン体制の内側で何が起きているのか」に続く第5回。※今回、途中から有料となります。
目次
- 対外硬、内に憂あり
- 軍事的威嚇の方が合理的だった
- なぜ「挑発されざる戦争」を起こすのか
- プーチンの自己保身戦争としてのウクライナ侵攻
対外硬、内に憂あり
古来より「対外硬、内に憂あり」という言葉があります。為政者が対外的に「硬」の態度、すなわち、一方的に攻撃的・好戦的な姿勢をとるのは、「内憂」、すなわち自己の支配体制内部に自己の権力を脅かす不安要因を抱えているからだという意味です。「内憂外患」という成句もありますが、これは単に、国内的にも国際的にも心配事があると並列的に言っているだけです。「対外硬、内に憂あり」はさらに進んで、為政者が「内憂」を除去するために、あえて「外患」たる「外敵」を創り出す事態を意味しています。
対外的軍事行動と国内的政治状況をこのように結合させる説明は、常に成り立つわけではなく、一定の場合に限られます。それは、現代的に言えば、「挑発されざる戦争(unprovoked war)」の場合です。外国・外部勢力が武力による現状変更を試みて、自国の領土・権益や自国民の生命財産を侵害する行動に出た場合に国家が武力行使に訴えた結果として起こる戦争は「挑発された戦争」で、これについては「内憂」ではなく「外患」が「対外硬」の理由になる。
しかし、外敵の挑発により対外的な脅威が特に強まっているというわけではないのに、為政者が突如として対外的に攻撃的な行動に出て「挑発されざる戦争」を起こした場合は、たとえ為政者が「外敵との闘い」を大義名分として掲げようとも、その真の狙いは、「外敵との闘い」を口実にして「内憂」を抑圧・除去することにあるというのが、「対外硬、内に憂あり」の意味です。
ウクライナ侵攻がまさにその典型例です。ウクライナはロシアに対して何ら軍事的な危害を加えておらず、NATO加盟についても、それがロシアにとって受け入れがたいのであれば見送るという妥協案さえ示していました。にもかかわらず、ロシアは侵攻を実行しました。これはまさに「挑発されざる戦争」だったわけです。
軍事的威嚇の方が合理的だった
しかも、この侵攻には、ロシアの地政学的利益を追求する手段としての戦略的合理性がまったくありませんでした。ロシアの国益保護にとって「侵攻する必要のない侵攻」だったのです。当時、プーチンはロシア軍をウクライナ国境付近に配備し、軍事的威嚇を続けていました。しかし彼は「軍事演習しているだけで、侵攻はしない」と繰り返し表明していました。実際、いつ侵攻されるかわからないという威嚇状態を維持するだけで、十分な効果があったことは、侵攻前にウクライナがNATO加盟を棚上げする妥協をロシアにもちかけていた事実が示しています。
さらに、この威嚇戦略は、2003年のイラク戦争以来、NATO内部の亀裂を生みだしてきた米国と欧州諸国の対立を強めさせるという点でも効果的だったのです。当時、バイデン政権は様々な情報源から入手した情報に基づき「ロシアのウクライナ侵攻が迫っている」と警告していましたが、ドイツをはじめとする欧州諸国の多くは、「ロシアの利益にとっては威嚇で十分だから、そんな不要な侵攻をするほどプーチンは愚かではないだろう」と懐疑的でした。2003年のイラク侵攻を正当化する口実として米国が流した「イラクによる大量破壊兵器の開発保有」という情報の誤りを引き合いにして、今回もガセネタではないかと疑う声さえあったほどでした。プーチンにとっては、軍を国境地域に配備したまま「これは単なる軍事演習だ」と言い続ける「戦略的曖昧性」の作戦に徹する方が、米国と欧州諸国の間の亀裂を広げることができたのです。
西側諸国の多くは、プーチンのこの威嚇戦略を、ウクライナを脅すだけでなくNATOを分裂させて弱体化させる「したたかな手法」と見ていました。ニューヨークタイムズなども、「軍事的威嚇は戦争それ自体よりも破壊的でありうる」という趣旨の記事を掲載していました。
それにもかかわらず、プーチンは実際にウクライナ侵攻に踏み切った。その結果、「米国の警告は正しかった」として、欧州諸国と米国の亀裂は修復されてNATOの結束は再強化され、中立を保ってきたフィンランドやスウエーデンまでNATOに加盟させる結果を招いた。ロシアの地政学的利益の保護という観点からは、プーチンのウクライナ侵攻は不要だっただけでなく、全く自壊的で愚かな選択でした。なぜプーチンはこんな愚かな選択をしたのか。それは彼が守ろうとしたのがロシアの国益ではなく、自己の利益だったからです。