20年以上続くプーチン体制では、支持基盤に深刻な亀裂が生じています。40代以上はかつての経済復興の恩恵からプーチンを支持していますが、若い世代は停滞と腐敗しか経験していません。「プーチン宮殿」の動画で不正の情報を知った若年層の多くは、プーチンに批判的とされています。第3回「ネオ・ユーラシアニズムはプーチンの本心か」の続き。※今回、途中から有料となります。
目次
- エリツィン時代の混乱とプーチンの経済復興
- 「盗賊国家」としての実態
- 支持基盤の崩壊の恐れ
- プーチン体制維持とウクライナ侵攻
エリツィン時代の混乱とプーチンの経済復興
プーチン体制はドミートリー・メドヴェージェフを名目大統領にして実権を握った2008~2012年の期間も含めて、既に25年、四半世紀も続いており、その間に国内には相当な不満が蓄積されています。この状況を理解するには、世代間の大きな認識の違いを知る必要があります。
旧ソ連が崩壊した後のエリツィン時代(1991-99年)、ロシアは社会主義から市場経済への急激な移行に失敗し、深刻な経済混乱に陥りました。国営企業の民営化は無秩序に進み、一部のオリガルヒ(新興財閥)が国家資産を安値で手に入れる一方、一般市民の生活は困窮しました。失業者が急増し、自殺者も増加するという悲惨な状況だったのです。
2000年に大統領に就任したプーチンは、ロシアが持つ豊富なエネルギー資源を活用した経済復興の戦略を取ります。しかし当時のロシアには、大規模な資源開発を行うための資本が不足していました。
そこでプーチンは西側資本を積極的に誘致し、シベリアなどで石油・天然ガスの開発プロジェクトを次々と立ち上げました。西側企業に投資と技術導入をさせた後、ある段階でこれらのプロジェクトの約半分をロシアが接収し、国営企業ガスプロムの傘下に収めるという、強引とも言える手法をとったのです。
この戦略は経済的には成功しました。ロシア経済は急速に成長し、プーチンの第一期(2000-2004年)から第二期(2004-2008年)の途中にかけて、エリツィン時代の悲惨な状況から見事に回復しています。
しかもこの時期、プーチンは親西側・親NATO的な姿勢を示しており、国際社会からも歓迎されました。いまでは忘れている人が多いですが、G7(主要7カ国)にロシアが加わってG8となり、協調関係が築かれていたのです。
プーチンはソ連の諜報機関KGB(後のロシア連邦保安庁FSB)の諜報員時代に旧東ドイツに5年間配属された経験があり、ドイツ語が堪能だったため、2005年から2021年まで長年ドイツの首相を務めたアンゲラ・メルケルとも親密な関係を保っていました。ドイツをはじめとする西側諸国は、ロシアの天然ガスや石油を安定的に確保したいという思惑があり、経済的にもうまく機能していたのです。
現在40代以上の世代は、エリツィン時代の困難を経験し、その後のプーチンによる経済発展を目の当たりにしています。彼らにとって、プーチンは民主主義や自由というイデオロギー以前に、「経済を立て直してくれた指導者」として映っています。そのため、プーチンへの支持が根強くあります。
「盗賊国家」としての実態
ところが、リーマンショック後の2009年には、世界経済が停滞します。ロシアの経済成長率もマイナスに転じ、いったん回復したものの、その後は低迷を続けています。そのため、40代以下の世代について言えば、エリツィン時代の混乱から経済の黄金期に転換したのは子ども時代以前のことなのでよく知らず、物心がついてから経験した黄金期から低迷期への変化の印象の方が強い。特に30代以下の若い世代にとっては、現在の停滞した経済の方がむしろ「常態」です。エリツィン時代に比べれば今の暮しは恵まれているとしても、若い世代にとっていまの状況は当たり前であり、年長者たちのようにプーチンへの特別な恩義は感じていないのです。
それに加えて、プーチン政権が長く続いたので、クレプトクラシー(kleptocracy)と呼ばれる「盗賊国家体制」が深刻化しています。プーチンその人もそうだけれども、その側近たち、軍部幹部らも含めて汚職・腐敗が横行しています。公的な資源や資金を、私腹を肥やすために、まさに「盗んでいく」状況が続いているわけです。
この盗賊国家の一番ひどい親分がプーチン本人だったということを暴いたのが、反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイでした。彼が率いる団体はプーチン体制の腐敗を調査し、2021年に「プーチン宮殿」に関する動画を公開しました。