生成AIは文書作成を支援します。しかし、そのとき「これは自分の言葉だ」とどこまで言えるのでしょうか。AIを介した知識の所有と責任の所在に注目し、「学びのオーナーシップ」とは何かを問い直します。(編集部)
目次
- 理解していない言葉は「自分のもの」と言えるか
- 出典のない知識は、誰の責任に帰属するのか
- 「責任」ということの中身
理解していない言葉は「自分のもの」と言えるか
――NHKの番組(「学びに“AI” どこまでアリ? ためになる使い方は」サタデーウオッチ9、2026年3月28日放送)では、明治大学の川嶋周一教授がゼミ生に対し、「AIを使おうとも、最終的に書いた言葉は自分で責任を持つこと」と話されていました。この点については、どのようにお考えでしょうか。
飯吉 理念としては非常に重要で、教育の現場で共有されるべき原則だと思います。ただ、実際にはかなり複雑な問題を含んでいます。
まず重要なのは、「理解」と「所有」の関係です。AIの出力には、自分が十分に理解していない内容が含まれることがあります。文章としては自然で説得力があり、全体としても整っているため、そのまま採用したくなる。しかし、その内容について詳しく自分で説明できるかというと、必ずしもそうではない。
このような場合、それを「自分の言葉」と言えるのか、という問題が生じます。形式的には自分が書いた文章もしくは自分が修正した文章であっても、実質的には十分に理解できていない部分が含まれている可能性がある。つまり、「扱ってはいるが、自分の中に定着していない知識」が増えてしまうわけです。
さらに、AIとの対話を重ねるうちに、AIが提示した表現やアイデアが自分の思考と混ざり合い、「もともと自分が考えていたこと」のように感じられることもあります。これは意図的な不正というよりも、無意識に起こる錯覚に近い現象であると言えます。

そのため、従来の盗用や剽窃のように、「他者の文章をそのまま使った」という明確な境界では意識的に捉えにくくなっています。
出典のない知識は、誰の責任に帰属するのか
飯吉 もう一つ重要なのは、「出典」の問題です。AIは、どの情報がどこから来たのかを明確に示さないことが多い。最近は出典表示の機能もありますが、それでも完全ではありません。