前回は、AI時代に「人間ならではの能力」をどのように育て、評価するのかについて考えました。しかし、その能力を育てる大学そのものも、いま大きな転換点を迎えています。AIの進展や少子化によって、大学経営、大学進学、そして大学教員のあり方まで変わろうとしています。今回は、「教育を受ければ上へ行ける」という社会モデルを巡り、大学と社会のこれからを考えます。
目次
- 大学は「いまの形」を維持できるのか
- 「教育を受ければ上へ行ける」は続くのか
- 人生の成功モデルは変わるのか
- 大学という組織も変わっていく
- 「大学教員」から「発信する知識人」へ
大学は「いまの形」を維持できるのか
――前回は、人文社会系には経済的な価値だけでは測れない役割がある一方、その価値を社会にどう示すかが課題になるというお話でした。AIの進展や少子化が進む中で、大学そのものも大きく変わっていくのでしょうか。
飯吉 大学は大きな転換点にあると思います。とりわけ日本の大学については、いまの形をそのまま維持していくのは難しいのではないでしょうか。
理工系や医療系であれば、研究資金を獲得しやすく、産業界との連携も進めやすい。大学の中でも、そうした分野が大学の経営や研究を支える一種のエンジンになっていくのだと思います。
一方で、人文社会系やリベラルアーツを中心とする大学が、これまでと同じ形で存立していけるかというと、それは簡単ではありません。
アメリカの名門大学を支えているのは、授業料収入や研究開発・事業関連の収入だけではありません。卒業生や富裕層、起業家などからの寄付による基金が、大学経営の重要な財政的基盤になっています。また、大小様々の多くの民間助成財団が存在し、その中にはアンドリュー・W・メロン財団のように、人文社会系や芸術分野を中心に支援してきた財団もあります。
しかし、日本では、こうした寄付文化や民間の財団等による財政的支援の仕組みが十分に根付いているとは言えません。そう考えると、日本の大学は独自の存立モデルを模索する必要があるでしょう。
経済的な成果や産業競争力が重視される時代だからこそ、リベラルアーツ教育には、社会のなかでどのような価値を持つのかを改めて具体的に示すことが求められています。
「教育を受ければ上へ行ける」は続くのか
――大学の経営だけでなく、大学に進む意味そのものも変わっていきそうですね。
飯吉 そうですね。日本では長い間、高等教育を受けることが、より安定した職業や高い収入につながるというモデルが機能してきました。しかし、それが唯一の社会モデルというわけではありません。
北欧などでは、大学以外の職業教育や進路も社会のなかで評価されている国々があります。大工や漁師、林業従事者といった仕事にも専門性が認められ、収入や社会的評価が必ずしも低いわけではないと言われています。そうした社会では、誰もが大学進学を目指さなければならないという発想にはなりにくいのです。
さらにAIの登場によって、高度な知識を必要とする専門職でさえ、将来の安定が保証されるとは限らなくなっています。たとえば、金融分野のように知識集約型の専門職は、AIの影響を強く受ける可能性があります。また、大学経営面では有利とされる理工系・医療系でさえ、医薬品開発のような高度な専門領域でAIの活用が急速に進んでいます。
戦後日本では、大学を卒業し、専門的な難しい仕事に就き、高い収入を得るという構図が、典型的な成功モデルとして広く共有されてきました。ところが現在は、その「専門的な難しい仕事」の一部をAIが担えるようになりつつあります。
つまり、高等教育を受けることで得られてきた個人にとっての社会的・経済的な優位性そのものが揺らぎ始めているのです。その意味で、明治以来続いてきた「教育を受ければ上へ行ける」というモデルは、いま大きな転換点を迎えているのだと思います。

人生の成功モデルは変わるのか
――社会全体の大きな変革に伴って人生設計も変わってくるかもしれない。
飯吉 そうですね。高等教育の価値がなくなるということではありません。しかし、「よい大学に入り、大企業に就職し、都市部で豊かな生活を送る」ことが典型的な成功モデルだった時代は、終わりつつあるのかもしれません。
そのようなルートが必ずしも安定した人生を保証できなくなるのであれば、他の生き方にも目を向けられるようになるでしょう。地方で暮らしながら第一次産業に携わる。地域で事業を営みながら、必要な知識や技能を学び続ける。そうした生き方も、十分に現実的な選択肢になり得ますし、むしろ日々の幸福感や充実感は高いかもしれません。
少なくとも今後は、「どこか大きな組織に所属していれば生涯安心だ」という発想そのものが成り立ちにくくなるでしょう。
大学という組織も変わっていく
――大学に進む意味が変わるとすれば、大学という組織のあり方も変わっていくのでしょうか。
飯吉 私は、大学そのものも、これまでとは異なる形になっていくのではないかと考えています。