AIが最適な答えを示せるようになったとき、人間は何を学ぶのでしょうか。今回は将棋の世界を手がかりに、AIには生み出しにくい「面白さ」と、学ぶことそのものの価値について考えます。
AIが示す「最善」と、人間が生み出す「面白さ」
――AIによって仕事が変わり、大学も変わらざるを得ない。一方で、AIそのものは数か月単位で急速に進化しています。大学が対応を進める頃には、技術はさらに先へ進んでいます。
飯吉 そうですね。AIの変化に大学が追いつこうとするだけでは、どうしても後手に回ります。そこで考える必要があるのは、AIに合わせて教育を変えることだけではなく、AIが進化する時代に、人間は何を学ぶのかということです。
その点で興味深いのが、将棋の世界です。
現在では、棋士がAIを使って研究することが当たり前になっています。観戦する側も、AIの評価値や予想手を見ながら対局を楽しむようになりました。
そうした中で、藤井聡太さんが「完璧さから離れたものの価値」について語っていたことが、とても示唆的だと思いました。

藤井さんは、棋士になった当初、自分なりに「完璧な将棋」を思い描いていたそうです。しかし、定跡が増え、将棋の難しさを深く知るにつれて、その完璧さは思っていた以上に遠いと感じるようになった。そして、AIの評価値や予想手が広く見られるようになったからこそ、むしろ完璧さから離れたものに価値があるのではないかと考えるようになったといいます。
実際に、AIが最善と評価しない手であっても、藤井さん自身が信じる手を選び、それが意外性のある展開や、観戦する人を熱狂させる将棋につながることがあります。
それは、合理性を捨てるということではありません。勝つことを目指しながらも、AIが示す評価だけに従うのではなく、自分で考え、自分が信じる手を指す。その結果として、「面白い将棋」が生まれるのだと思います。
もちろん、将棋は勝負ですから、勝つことは重要です。しかし、AIが過去の対戦データから予測する最善手を正確になぞることだけが将棋の価値ではありません。未知の展開に向き合い、予想外の手を生み出し、対局する者と観戦する者の双方が面白さを感じます。そこには、数値やデータだけでは測れない価値があります。
これは将棋に限った話ではありません。AIが最適な答えを示せる領域が広がるほど、人間には、その答えをなぞるだけではない学びや仕事が求められます。その手がかりになるのが、「面白い」「楽しい」「やってみたい」といった人間ならではの情動的な感覚ではないでしょうか。
「学ぶこと」自体が価値になる
――知的好奇心や創造性が、これまで以上に重要になるということでしょうか。
飯吉 そうです。これまでの教育には、「面白いかどうかにかかわらず、必要なことを学びなさい」という考え方がありました。覚えたくなくても覚える。苦手でも勉強する。「刻苦勉励」という言葉がありますが、このような学びにも、もちろん意味はあります。
しかし、AIが知識の検索や整理、計算、要約などを担えるようになった今、人間がAIと同じ作業を繰り返すことに、どこまで時間を費やすべきなのかは考え直す必要があります。
むしろ、人間にしかできないことや人間としてやり甲斐のあることに、もっと時間を使うべきでしょう。
