生成AIの普及によって、「良い成果=高い能力」という前提が崩れ始めています。レポートや論文の質だけでは、学習者がどこまで理解し、どのように考えたのかを判断しにくくなっているからです。今回は、この変化を踏まえ、大学教育は何を評価し、何を「学び」として測るべきなのかを考えます。


目次

  • 「何を評価するのか」を見直す
  • 教育の再設計の第一歩は「何を残すか」を決めること

「何を評価するのか」を見直す

――AIの活用によって、どこまでが本当に自分の理解で、どこからがAIに支えられた成果なのかが見えにくくなる中で、大学教育の評価制度はどのように成り立つのでしょうか。


飯吉 現在の評価制度は、その前提が崩れつつあります。これまでは、レポートや論文といった成果物を見れば、理解や思考力をある程度推測できました。しかし、AIの登場によって短時間で一定水準のアウトプットが出せるようになり、「良い成果=高い能力」という関係が成立しにくくなっています。

その結果、同じような成果物でも、そこに至る過程は大きく異なる可能性があります。自力で試行錯誤したのか、AIを使って効率的にまとめたのかを、提出物からだけで判断するのは、既にかなり困難です。そのため、成果だけでなく、プロセスを含めて評価する必要があります。

ただし、プロセス評価には課題があります。思考過程やAIの使い方を把握するには、学習履歴・ログ等などによって途中経過を経時的に追う必要があり、教員の負担は大きくなります。また、学生の自己申告・評価に頼る場合には、信頼性・妥当性にも限界が生じます。

このように考えると、単に評価方法を変えるだけでは不十分であり、「何を評価するのか」という目的そのものを見直す必要があると思われます。完成度や正確さだけでなく、「どのように考え、何を理解したのか」といった思考のプロセスや質に、より評価の重点を置いていくことが求められます。

教育の再設計の第一歩は「何を残すか」を決めること

――こうなると、評価の方法だけでなく、大学教育の仕組み全体も見直す必要が出てくるのでしょうか。

飯吉 評価の変化は、教育全体の再設計とも切り離せません。AIの教育利用を前提とすれば、「何をAIに任せ、何を人間が担うのか」を熟考する必要があります。