今回の配信記事では、高市解散総選挙の問題の教訓を受けて、現代日本において政権交代を阻害している制度的条件の問題を考察する予定でした。しかし、またもや予定を変えざるを得ない「トランプ爆弾」が炸裂しました。

2月末に始まった米国とイスラエルによるイラン侵攻です。国際社会における法の支配は既に瀕死状態にあるのに、これに止めを刺すかのような蛮行です。今後の展開は予測困難ですが、現時点で法哲学者として言えること、言うべきことだけは言わざるをえません。

政権交代の制度的障害をめぐる高市解散論(4)は少し繰り延べし、イラン侵攻問題について最低限のことだけ、先に論じることにします。 ※今号は途中から有料です。

目次

  • 新たな湾岸戦争が始まった
  • 「先制的自衛」概念の危険性・欺瞞性
  • 「限定的な先制的自衛容認論」の二条件
  • 「米国へのイランの核攻撃に対する先制的自衛」論の嘘

新たな湾岸戦争が始まった

2月末に米国トランプ政権は、イスラエルと合同して、イランの最高指導者ハメネイ師を含む政府・軍の幹部を殺害する「馘首(かくしゅ)作戦」を実行しました。メディアではいまこれを「斬首作戦」と呼ぶことが多いですが、「敵将の首をとる」というのは古くからの戦術なので、ここでは古典的な軍事用語を使っておきます。戦国時代でも流通していた古典的な軍事用語を使った方が、今般のイラン侵攻が現代国際法を全く無視した古き野蛮な時代への回帰であることを一層明確に示せるでしょう。

https://jp.reuters.com/markets/commodities/XEDIDPMF5JOHPIEQ7IBD7YLNJI-2026-02-28/

イランは、昨年6月の米国による原子力開発施設攻撃に対しては限定的反撃にとどまりましたが、今回は首都爆撃で最高指導者を殺害され、全国土が標的にされているため、自国への全面侵攻とみなし、中東各地の米軍基地に広く反撃すると同時に、持続的抗戦の姿勢を示しています。比喩的に言えば、昨年6月の襲撃が「村の重要物資を秘匿する倉庫を焼いた」だけだったのに対し、今回の襲撃は「村長を殺し、村全域に矢を放った」ものである以上、イランが全面抗戦に向かうのは当然でしょう。本格的な戦争の火ぶたが切られました。

この戦争は、いま米国・イスラエルとイランが主たる交戦国ですが、米軍基地の存在する他の湾岸諸国も既にイランの攻撃を受けて巻き込まれているので、これを「2026湾岸戦争」と呼ぶことにします。2026は開戦年を指し、2026年中に終結するという楽観的予想を示すものではありません。戦争が拡大するだけでなく、長期化し泥沼化する恐れも十分あります。メディアは「新たな湾岸戦争」という言葉をまだ使おうとしていませんが、これは慎重さの表れというより、「事態を深刻視したくないし、させたくない」というトランプ政権の姿勢への卑屈な忖度であるとしか私には思えません。

トランプ政権はこのイラン侵攻を正当化する論拠として、二つの口実を挙げています。一つは、先制的自衛論で、イランが核兵器開発を急速に進めており、米国に対するイランの核攻撃が切迫しているから、米国は先制的な自衛権の行使としてイランを侵攻したという主張。もう一つは、民主化支援論で、イラン国内で昨年末に始まり本年1月にピークに達した反政府デモに対するイラン政府の厳しい弾圧からイラン国民を守り、イスラム原理主義者の専制から民主制へのイランの体制転換を支援するというもの。

いずれも、「とってつけた、ためにする議論」か「無理筋の議論」で、最初から破綻していることが明らかです。まず先制的自衛論の欺瞞性を明らかにします。

「先制的自衛」概念の危険性・欺瞞性

先制的自衛論については、そもそも「先制的自衛(preemptive self-defense)」なるものが国際法上認められているかどうかが問題で、国連憲章を素直に読む限り、それは否定されていると言えます。各国の自衛権を承認する国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と定めています。

国連憲章テキスト | 国連広報センター
序国際連合憲章は、国際機構に関する連合国会議の最終日の、1945年6月26日にサン・フランシスコ市において調印され、1945年10月24日に発効した。国際司法裁…

ここで重要なのは、「武力攻撃が発生した場合は」という条件です。憲章の英語原文ではこれは、“if an armed attack occurs”という仮定法現在の条件節になっています。仮定法現在の条件節 “if X occurs” は「将来起こることが可能な事態X」を表現するものではありますが、あくまで、「可能な事態Xが現実に生起したならば」という仮定を意味しており、「事態Xの発生が可能ならば」という仮定を意味するものではありません。

英語の文法書に出てくる仮定法現在の典型的例文として、“If it rains, you will get wet.”という文――Sとします――があります。Sは(a)「実際に雨が降ったなら、あなたは濡れるだろう」と言っているのであり、(b)「雨が降る可能性があるなら、あなたは濡れるだろう」言っているわけではありません。雨が降る可能性があるだけなら、降らずに終わることもあり、濡れるわけではないので、Sが(b)を意味するなら、明らかに偽になってしまいます。

したがって、国連憲章51条は、他国からの武力攻撃が現実に生起した場合に自衛権を行使することを認めており、かかる攻撃の可能性があるだけで、自衛権行使を認めるものではないと言えます。

条文の字義的意味だけでなく、事の実質からしても、この解釈をとるべきです。古来より国家は他国を侵略する先制攻撃を自衛の名で正当化する欺瞞を振りかざすことが多かった。先制的自衛権を一旦承認するなら、この欺瞞をさらに跋扈させることになります。現在の国際法の「開戦法規(jus ad bellum)」は、安保理の承認なしに国家が武力行使できる正当な戦争原因を、他国の先制攻撃に対する自衛に限定していますが、この限定が骨抜きされてしまいます。

さらに、X国がY国に対し、Y国が先制攻撃する恐れがあることを理由に、先制的自衛の名で、Y国に先制攻撃できるとなれば、Y国も、X国が先制的自衛の名でY国に先制攻撃をかけてくる恐れがあることを理由に、先制的自衛の名で、X国を出し抜いてX国に先制攻撃をかける動機が強まり、そのことがまた、X国が先制的自衛の名でY国を出し抜いてY国に先制攻撃をかける動機を強める(以下同様)、というように、「先制的自衛のポジティヴ・フィードバック」が発生します。先制的自衛の承認は、国家間の先制的な武力行使のインセンティヴを自己増殖的に強化することになり、自衛と侵略の区別を無意味化し、戦争を放縦化させてしまいます。

先制的自衛概念のこのような濫用可能性を自覚した上で、この概念を一層限定的に解することにより、それが許容される余地を残す立場もあります。しかし、この立場によっても、今般のイラン侵攻は正当化できません。次にこの点を説明します。