目次
- 昭和天皇はなぜ東條英機を首班にしたか
- 誰も責任を取らない国家
昭和天皇はなぜ東條英機を首班にしたか
太平洋戦争の開戦に至った経緯については膨大な研究蓄積があり、歴史学者ではない私が簡単に答えられる問題ではありませんが、前回紹介した知人の質問に関して言えば、次の事実は、いまほぼ異論のない点かと思います。
昭和天皇は日米開戦を避けたいと思っていました。東條英機は自己の信条としては主戦論者でしたが、他方で、天皇絶対主義者でもありました。昭和天皇は日米開戦回避を皇族政治家たる近衛文麿に託しましたが、軍部の抵抗により、第三次近衛内閣が崩壊すると、開戦回避の最後の手段は、天皇への忠誠心の厚い軍人の東條に軍部を抑えさせることだと考えて、「天皇の御側用人」と言われた木戸幸一内大臣を通じて、東條に開戦回避が天皇の意向であることを伝えた上で彼を首相にしました。陸軍大臣としては第三次近衛内閣を崩壊させた東條も、首相になると、陸軍の利益代表として好き勝手に振る舞うことはできず、政府全体の調整役として自制せざるを得なくなるという読みもありました。
主戦論を抑えるために、その尖兵たる東條を首相にするというのは奇策であり、周囲も東條本人も考えてもいませんでした。東條は2・26事件で上位の軍人が処分された後空いたポストに昇進した軍務官僚で、軍人としてのカリスマや実力は乏しく、政治的決断力もない男でした。首相になると彼は、天皇の意志と自分への期待も理解していたため、首相になる前の自分の姿勢と逆に、日米開戦を再考させようとするかのような動きも少し見せました。しかし、開戦を既定路線とする統帥部(陸軍参謀本部+海軍軍令部)を抑える実力は東條にはなく、首相就任後、わずか50日後に真珠湾攻撃に踏み切りました。
誰も責任を取らない国家
東條には日米開戦を回避する能力がなかっただけでなく、意志もなかったと言えます。天皇の意志に逆らうと天皇に見られることを恐れただけで、日米開戦は日本を滅ぼすから絶対回避すべきだなどという真剣な危機感はなかった。
「総力戦研究所」に集められた優秀な若手の官僚・実務家から成る研究生グループが、日米の総合的な国力比較に基づき、日米開戦になったら日本敗戦は不可避であるという結論を出していたことはいまではよく知られていますが、東條も「総力戦研究所」の日本必敗シミュレーション報告をちゃんと受けていました。しかし、日米開戦の結論ありきで、この報告を机上の空論として無視しました。
開戦後半年にしてミッドウエー海戦で大敗北を喫したにも拘わらず、大本営発表で嘘を流していたのは軍部ですが、満州侵略から日米開戦に至るまで、日本を突き動かした責任は軍部だけでなく、日本人の好戦感情を昂揚させるような虚報を含む報道を続けたメディアにもあります。特に朝日新聞の戦争責任は大きな問題であり、朝日新聞自体も自己批判的検証を、戦後60年を過ぎたころに遅まきながら公表しています(朝日新聞「新聞と戦争」取材班『新聞と戦争』朝日新聞出版、2008年参照[本書は2007年4月~2008年3月に朝日新聞夕刊に連載された特集記事を集成したものである])。

要するに、先の戦争の責任は、何よりもまず、日清・日露戦争の勝利でいい気になって、中国侵略に突き進んだ陸軍、軍縮条約の戦艦保有量規制に反発した海軍、これら軍部の自己拡大という組織的エゴを冷徹な安全保障戦略に基づく国益保護に優先させた愚かな軍人たちにあります。
しかし、それを思想的に美化して応援した知識人・メディアの責任も大きい。そしてそのプロパガンダに無批判的に扇動されて軍国主義に走った多数の日本国民も「知らなかった、騙された」では済まされず、「なぜ疑おうとしなかったのか」を自問すべきでしょう。
昭和天皇も、対中戦争と日米開戦を制止できるのは自分しかないことを知りながら、自分で開戦阻止の決断の責任をとることが怖くてできず、最初は近衛のような「お坊ちゃま的皇族」、その後は東條のような「小役人的軍人」に「嫌われる仕事」をおしつけ、彼らがその仕事を完遂する能力も真剣な意志もないと判明したら、そのまま放置したという点で、無責任の批判を免れないと私は考えています。天皇の「統帥権」の名で横暴に振る舞う軍部を抑える最終的な権限と責任は、まさに「統帥権」の主体たる天皇にあります。
国の頂点から末端に至るまで、戦争回避の責任を誰も真剣に果たそうとしなかった。日本必敗論を説いた総力戦研究所の若手エリートたちですら、「報告を出した後のことは、我関せず」でした。責任の軽重に差はありますが、この総無責任体制こそが「あの戦争」が暴いた日本の宿弊です(注1)。
(注1)日本共産党のような左翼は戦争に反対したと反論されるかもしれないので、注記する。左翼も多くは転向した。転向は弾圧による面もあるが、「欧米の帝国主義からアジアを解放する」という「大東亜戦争の大義」は、日本のアジア侵略の実態とは異なるものの、建前としては、マルクス主義の階級闘争史観を国際政治に拡大適用するものとして、イデオロギー的訴求力を左翼に対してもったことにもよる。宮本顕治など、非転向を貫き戦争中は獄中生活を送った少数の者が戦後日本共産党の指導者となり、同党は「真の反戦政党」を自任した。しかし、丸山眞男(戦後民主主義の代表的論客)は、獄中での非転向という個人の思想的潔癖性の美徳をもって、戦争を止める実効的行動ができなかった党としての政治的無力性に対する自己批判を回避する欺瞞だとして、この共産党指導部の態度を厳しく批判している。
玉川発言について総括します。彼の主張は、一部は本当です。昭和天皇は東條を利用して日米開戦を回避しようとした。しかし、東條は天皇の不興を買うのを恐れて開戦を遅延させる躊躇を少し見せただけで、彼自身が開戦に反対だったわけではない。「勇ましい世論」に押されて開戦反対の立場を変えたどころか、それを後ろ盾にして本心の主戦論を貫いた。
しかも、「勇ましい世論」を創り出したのは、朝日新聞をはじめとする大手メディアです。玉川氏が高市発言を批判して「戦争は絶対にしてはならないし、それを煽って、敵対的な世論の高揚を作ることも許されない」と偉そうなことを言うのなら、まず自らが属するメディアの過去の罪状を率直に認めて自己批判すべきだったでしょう。
なお、「総力戦研究所」の日本必敗シミュレーションと東條英機の動きについては、すでにいろいろな研究がありますが、先駆的業績として、猪瀬直樹のドキュメンタリー作品『昭和16年の敗戦』(初版1983年)が多くの存命関係者へのインタビューも踏まえており、参考になります。今年の夏に、この作品をドキュメンタリードラマ化したNHKスペシャルの番組が放映されました。
