皆さまへ
井上達夫と申します。法哲学者として、長年、研究教育に従事し、学術的な著作を刊行するとともに、現代の日本と世界で生起する現実的諸問題についても、言論活動をしてまいりました。
このたび、オーサーシップ社のプラットフォームの場をお借りして、私のニュースレター配信欄「獅子吼の正義――井上達夫の法哲学塾」を開設することになりましたので、一言、ご挨拶させていただきます。
「獅子吼」という名称は、講演やテレビ・ネット上の討論番組などで髭面の私の風貌と歯に衣を着せない発言を見聞きした人々の一部から、「ライオンが吼えているみたいだ」という反響をしばしばいただいたので、思いつきました。仏教用語では、百獣(悪魔・外道)を畏服させる獅子の雄叫びのような力をもっていたという釈迦の説法を「獅子吼(ししく)」と呼ぶようです。
私は傲慢不遜な人間であることを自覚しておりますが、さすがに、自分を釈迦になぞらえるほど尊大ではありません。ただ、誰に対しても臆することなく、言いたいこと、言うべきことは死ぬまで言い続けるという覚悟はもっております。このニュースレターを始めるのもそのためであり、この姿勢を示すために、この言葉を看板に使わせていただくことにしました。
因みに、京都嵐山の「宝厳院(ほうごんいん)」という臨済宗の寺に、「獅子吼の庭」と呼ばれる美しい庭園があります。仏教説話を象徴する様々な植物・岩石の造形から構成されていますが、抹香臭さはなく、宗教性が審美性と見事に結合した清澄な庭で、ゆっくりとその中を歩いた後は心が洗われた気がします。
権力欲と我執に発する欺瞞と偽善の汚泥に覆われた真実を掘り起こし洗い出すことが私の目的ですが、これは簡単には到達できない理想です。私自身が自分の我執から真実を見る目を曇らせてしまう危険は常にあります。だからこそ、この庭から響き渡る声なき声、「ダルマ=真理のみを己が島とせよ」という「獅子吼」の声に常に耳を傾けたいと思います。
八月になり、広島・長崎の「原爆記念日」、「終戦記念日」と続き、戦争を反省する言説がメディアで恒例の儀式のようにまた繰り広げられています。「八月ジャーナリズム」とも揶揄されるこの戦争言説儀礼は、儀礼化による形骸化だけでなく、欺瞞化の問題も孕んでいます。
昨年(2024年)、長崎の原爆記念日の招待国問題を素材にして原爆言説の欺瞞を批判する三つの私信を友人たちに送りました。それを私がいまだ知らない人々とも共有できるよう再提示することでこのニュースレターを始めたいと思います。私が追求する「獅子吼の正義」がいかなるものかについて、具体的なイメージをもっていただくためのサンプルになれば幸いです。
目次
- 第1信 長崎市「原爆の日」招待国問題(2024年8月10日発信)
イスラエルの不招待と欧米主要国の対応
ロシアとイスラエルを原爆式典に招くべし
第1信 長崎市「原爆の日」招待国問題(2024年8月10日発信)
イスラエルの不招待と欧米主要国の対応
長崎市が、8月9日の「原爆の日」の記念式典にガザで民間人攻撃を続けるイスラエルを招待せず、それに抗議して、G7の日本以外の6ヵ国(英米独仏伊加)とEUの大使も欠席しました(大使館内や都内の別の寺での黙祷・祈祷はしたようですが)。
私はロシアによるウクライナ侵略とイスラエルによるガザでの民間人に対する戦争犯罪をいずれも厳しく批判しておりますが、この長崎市のイスラエル不招待とそれに対する欧米主要国の対応には疑念をもたざるをえません。
原爆の日の式典は、核兵器の凄惨な破壊性を自覚し、核兵器廃絶に向けた運動を進めることを世界中に訴えるためのものであって、現下の地政学的抗争の具にされてはなりません。
そもそも、広島と長崎に二つの原爆を投下し、大量の民間人に対する無差別虐殺をしておきながら、そのことの非をいまだ認めず「戦争を終わらせるのに必要だった」という明白な嘘を喧伝している米国を招待し続けてきているのに、ガザ戦争を理由にイスラエルを招待しないというのは、噴飯もののダブルスタンダードです。
「ロシアとイスラエルを一緒にするのはけしからん」というのがエマニュエル駐日米国大使の式典欠席の理由ですが、これはネット用語の「おまいう」(「お前が言うか」)の究極の形態!
「原爆を二度も実際に使い、いまも中露との対抗で核武装増強を進めている我々米国を招待しているんだから、イスラエルを招待しないというのは変じゃない?」くらいが、多少とも人間的良心・知的自省力のある者なら言うべきこと。
ウクライナを侵略したロシアと、ハマースに侵略されたイスラエルを一緒にするのがいいかどうかという問題設定自体が的外れ。
ロシアとベラルーシを招待しなかったこと自体が間違っている。
核兵器の恐るべき破壊性を自覚し、核兵器廃絶を進めるという原爆記念式典の目的からすれば、ロシア(とロシアの核兵器を再配備したベラルーシ)も含め、核兵器を保有・配備する国々をこそ、式典に招待し、自省・自戒を促すべきです。
もちろん「国際刑事裁判所から逮捕令状が発出されている人物はお断り、派遣したら逮捕しますよ」という警告付きでの招待ですが。
米国に同調して、式典欠席した英仏のような核保有国にも「おまえら、いい加減にしろ」と怒鳴りたいですね。
ロシアとイスラエルを原爆式典に招くべし
しかし、これら外国の政治家に対する以上に、イスラエル不招待決定をした式典主催者たる長崎市長、鈴木史郎に怒りを感じます。
鈴木市長を、理想を優先して現実を見ないうぶな男と見ている向きもあるようですが、それは大間違い。この人物は、一般受けする政治的パフォーマンスで市民の人気を獲得することを核廃絶の大義に優先させる「せこい政治屋」としか私には思えません。儀礼的に恒例の原爆式典をやっているだけで、核廃絶の理想への真摯なコミットメントは見られない。
イスラエルは公認していないけれども、核兵器を保有していることは国際政治上では「公然たる秘密」です。
ガザ戦争がいまイランとイスラエルとの抗争に拡大し、核兵器製造に必要な濃縮ウラン製造力を高めたイランが核兵器開発に進むことが懸念されている。
わざわざテヘランでハマース指導者ハニヤをイスラエルが殺害しイランの面子を潰したのは、イランの核兵器開発防止を欧米が実効的に進められていないことに苛立っているイスラエルが、イランを挑発し核開発を進めさせることで、イランの核武装化の芽を事前に摘むためにイランの核施設にイスラエルが先制攻撃をかけることを正当化する口実にしようとしているとの見方も中東情勢の専門家たちの間に見られます。
中東の戦乱がこのように緊迫しているからこそ、その緊張を高めているネタニヤフ政権下のイスラエルの駐日大使を式典に招いて、核拡散・核使用につながる行動の自制を求めるメッセージを伝えるべきでしょう。
核の脅威を本当に真剣に考えるなら、ロシアとイスラエル双方を原爆の日の式典に招くべきだったのに、それをしない長崎市長(ロシアとベラルーシを招かなかった点では広島市長も同罪)には、核兵器反対を自己の人気取りや自己満足のためにだけ空疎なプラカードとして掲げ、核兵器廃絶に向けた真摯な努力を本気でやるつもりのない自称平和主義者の欺瞞を感じてしまいます。
まとめ・次回予告
2024年8月当時、長崎市「原爆の日」招待国問題に関して述べていたコメントでした。次回は、「日本の「核兵器反対大義」の歪み」というテーマでお伝えします。