生成AIの急速な普及は、高等教育の前提そのものに影響を与えつつあります。これまで「高度な専門性が必要」とされてきた知的職業の多くが、AIによって代替可能になるかもしれない。もしそうなら、大学で学ぶ意味はどこにあるのか。学問と職業を結びつけてきた近代的な世界観は、いま再考を迫られています。今回、まずAI時代に大学の存在意義がどのように問い直されているのかを整理します。
目次
- 「AIと共に学ぶ」時代の入口で
- 「AIがあること」を前提に組み直された社会
「AIと共に学ぶ」時代の入口で
近年のAIの普及と実用化は、高等教育を含む社会全体の構造に大きな変化を与えています。
その背景には、福澤諭吉の『学問のすゝめ』の表現を借りれば、「人はAIの上に立てるのか、それとも下に置かれるのか」「AIと人間は同じことができるのか」といった、私たちの存在意義や役割にかかわる根源的な問いがあります。さらに、これまである程度は共有されてきた「難しい仕事/易しい仕事」という区分そのものが、AIの進展によって輪郭を失い、不確かなものになりつつあります。
ここで大切なのは、AIが単なる「便利な道具」にとどまらないという点です。AIが急速に社会へ組み込まれることで、学ぶことの意味や、学びの先にある職業・キャリアの見通し、そして大学が担うべき役割が、短い時間のうちに書き換わり始めています。高等教育は、この変化を外側から眺めるだけではいられません。これから社会で生きていく学生に責任を負う立場として、変化の真っ只中に立つことが求められています。
「AIがあること」を前提に組み直された社会
もし社会の中で、これまで高度な専門職と見なされてきた多くの仕事が「AIに代替できる」「むしろAIのほうがより正確に、効果的に、効率的にこなせる」と捉えられるようになれば、私たちが長らく前提としてきた「学問と職業の世界観」は大きく揺らぐことになります。
明治時代、大学進学率が1%にも満たなかったであろう頃には、「身分が高く、給料もよく、地位や名誉のある仕事に就くには高等教育が重要だ」という発想が、大学へ行く大きな動機の一つでした。
ところが現在では、大学卒業者が就くような「知識や技能が重視される職業」そのものが、短期間でAIに置き換えられたり、場合によっては職業としての形を変えたり、消滅したりする可能性すら現実味を帯びています。だからこそ、大学に行く意義や価値、さらに教育機関としての大学の存在意義を、根本から考え直すことが世界的に緊急の課題となっています。

この問題をいっそう難しくしているのが、変化のスピードです。ここ1、2年ほどの短い間にも、AIをめぐるニュースや議論は連日のように続き、生成AIの種類は増え、性能も日進月歩で向上してきました。AIはすでに民間企業・官公庁・NGOなどで広く使われ始めています。とりわけ実業界では成果が最優先されるため、たとえ仕事が100パーセントAIによって遂行されたとしても、成果が良ければ評価され、費用対効果の判断が人員削減につながることも十分にあり得ます。
つまり、学生が卒業して向き合う社会は、「AIを使うかどうか」を選べる社会ではなく、「AIがあること」を前提に、仕事の進め方も評価の基準も組み直された社会へ移行しつつあります。高等教育は、この現実から目をそらすことはできません。
まとめ・次回予告
AIが「あること」を前提に社会が再設計されるなら、大学もまた、その現実から目をそらすことはできません。問題は、AIを避けるか受け入れるかではなく、どのような前提で向き合い、教育・研究に活用するかです。次回は、こうした状況のなかで大学が採るべきAI戦略を、「学生の受益」という観点から考えます。
※本記事は「高等教育におけるAI利用の可能性と課題」『IDE現代の高等教育』(IDE大学協会、2024年8-9月号)をもとに、内容を整理のうえ書き改めたものです。